Feeling,Thinking.   What do you think about it?

日ごろ思ったことまとめていってます。大人じゃないけど子供でもない?そんなグダッとしてるとこもありますが、チラッとのぞいてみてください('ω')ノ

善悪と社会。

もうすぐ4月も終わりです。

2年目なのにまだまだ不慣れでバタバタしている毎日を過ごしています…

後輩ができるとか、というか年下が正直得意ではないのでもうどうしよ…

というか今日は久しぶり(?)に部活さぼっちゃいました(*´Д`)

言い訳じゃないですけど、フラッシュバックがひどくって、やっぱりつらいなぁ。

どうやったらみんながよく言う「いい人」になれるのでしょうね。

っいや、全然なりたくないですけど。

 

3月の時は東日本大震災から5年経って、ボランティアーとか言ってたんですけど、

こんな地震が起きるとも思ってなかったです。熊本の皆さん、お体を大事に。

頑張ってくださいなんて言葉は言えないです。だって自分の何倍も頑張っているんだろうなってことはかなり遠くに住んでいますが、テレビを通してみています。

今は物資を運んだりとかお手伝いは学生の身なのでできないですけど、

いつか絶対に力になれたらいいなって思ってます。

今はボランティアも余計迷惑になったりすることもあるみたいですし、私みたいな体力があまりない奴は足手まといになってしまう可能性のほうが高いので、自分のできることをもう少し模索しておこうと思います。

ボランティアにも種類がありますよね。東北にボランティア行くようになって、そのことがよくわかりました。

がれきの撤去や環境整備だけが復興ではない。正直私にはその分野は無理とはいわないけど、大人のほうがもっとうまくできる。

でも、話をしたり、交流会をしたり、ふるまい鍋を一緒に食べたり。それは私だって力になれます。まだまだ微力ですが。

こういうときに何て言葉をかければいいのか正直うまく見つけることができなくて、

「頑張って」とか「私たちがついている」みたいな言葉が本当に助かるのかわからないので、

少し遠くの地からですが、応援しています。という言葉を私からは送ります。

 

 

16歳の語り部

16歳の語り部

 

 3月に地元で千年希望の丘プロジェクトの募金活動に参加して、その時にこの本のことを知りました。それからじっくりとこの本を春休みの1か月間かけて熟読してやっとこの記事が書けます。

このブログでは私たぶん年齢書いたことないんですけど、この著者さん達3名と同じ年齢です。つまり16歳。東日本大震災の時は小学5年生でした。

同じ年齢で、全く違う環境を過ごしている中でどんな考え方で生き抜いてきたのか、

読む前からかなり興味がありました。

 

どうでもいいかもしれないですけど、石川県民の私はあの地震のとき、家庭科のテストを教室で受けていました。

で、問題解きながらなんか学校自体がグルンぐるん回っているような感覚が若干するなーってぐらいで。(震度3だったんですけど)

ちょっと気持ち悪くなってきたなって思っていたら阪神淡路大震災を経験していた家庭科の先生が机の下にもぐって!っていきなり言ってて。

そのときにこれが地震なのかって気が付きました。

その日からのニュースは自分にとってこれは本当に起きたことなのかわからないくらい、

その時の私は理解していなかった。ポポポポーンとばっかり言っているCMがちょっとトラウマになりそうなぐらいで。

その年、私学級代表していたんです。全くリーダーシップが取れないんですけど、立候補で(´・ω・)

だから(?)募金活動してました。でも、募金してくださいって大声で言うのすごく恥ずかしくって。というかそんな大声で叫んでいうものじゃないって感覚が強くって。

でも、(小学校)1年生でもちょっとのお金でも一生懸命箱に入れようとしていて、

見ていて暖かくなりました。

 

そんな私の話はおいておいて、この3人+2人の思いは一人ひとり考えさせられる、知っておいて損はない。むしろ体験していない私でも自分があの立場ならそうなるんだろうなと考えてしまう内容で、とても興味深く、心に残る一冊でした。

この感想はもうちょっと深くまとめたいので、時間があれば一人ずつまとめていきたいと思います。

 

善悪と社会。

普段の生活をしていくためには「ルール」がある。それは自分の身を守るため・相手に迷惑をかけないようにするため・集団生活において・まだまだ作る理由はありますが。

ルールに従って、善悪がつけられる。私石川県きて一番最初に驚いたのは、

「だめやよー!」ってみんなが一人が何か悪いことしたときにだぁーって言っていくスタイルだったことです。幼稚園の頃の話ですが。

やよーって何?みたいな。あと集団って怖ぇ。

「正しい」と「間違っている」という基準があってそれは自分の中で判断するものであり、時に人と議論しあって決まるものでもある。

自分の身で考えている場合、大体自分に対して人は甘くしてしまいがちだが、

正しいか間違っているか自分の考えがほんとに正しかったとしても、

それが社会に適合しているかといえば別問題になる。

自分の身や周りの身を守るか、己の正義を貫くか。その2択かもしれない。常に。

自分の正しさの物差しは社会と適合しているのだろうか?

むしろ社会が間違っているのではないか?そう思うこともあるだろう。

でも、社会は一人では変えることはできない。完全否定するわけではないけど。

悪があるから善がある。この世に悪は消えないし、悪があるからこの世が成り立っている。

でも悪がはびこると世の中の方向性がおかしくなるから捕まえたりするんでしょう。

本当に正しいことをしても、社会がそれを評価してくれるとは限らない。

むしろ否定的な意見で、真逆の結果を得ることもある。

それを認めて生きていくしかこの世を渡り歩く方法はないのだろうけれども、

私にはそれが難しくて仕方ない。

本当の「正しい」という答えがほしい。見方によっても変わらない、本当の答えが。

実在することはきっとないとしても、その答えがあれば、

きっと誰も傷つかずに生きていけるはずなのに。

 

誰にも話していないこの話を、このブログでぶちまけるのは不思議な話ですが。

私のしたことは、間違いを正すという意味では正解でも、

正すことで誰かが傷ついて、そのミスが気づかれなければ得られるものを私が奪ったとするなら、

私は「正しい」のか、「間違っている」のかどちらなのか。

 

社会に飲み込まれて、自分の意見をなくす人にはなるな。己を強く信じれるようになれ。